雲の上から

雲の上から見下ろされたい

伊野尾くんという人

今日のらじらーにはひやりとさせられた。「お母さんがお尻を触ってきて困る」というおたよりに、リスナーと電話で直接お話をする伊野尾くん。お母さんにも話を聞いてみよう、ということで電話はリスナーのお母さんに代わられた。最初はなんでお尻を触っちゃうんですか、かわいいからですか、という平和で平凡な流れだった。ところが、伊野尾くんは一線を越えてしまう。「お母さんは最近お父さんとスキンシップしてますか?ご無沙汰ですか?」。これに「いやーねー」と乗ってくれるタイプの方だったらよかったものの、露骨にテンションが下がるお母さん。伊野尾くんはそれに気づいているのかいないのか、さらに「ご無沙汰ですか?」と繰り返す。
8時台らじらーの清く正しい内容からはかけ離れたスリリングな空気が漂った。私も正直、伊野尾くんの鈍さに驚いた。
伊野尾くんは基本的に思慮深い人だと思う。その後の「友達におごってと言われると断れない」というおたよりには「断って関係が続かないようだったらそれまでのやつってことだから。断りにくいようだったら逆におごってって言ってみれば?」と極めてまっとうな考えを述べていた。
けれどもたまに、え?と思うような空気の読めなさが露呈する。24時間TVの漁のロケもそうだった(あれはあれで面白かったけどね)。V6との食事会のときに無礼だったという話も、こういう空気の読めなさから来ているんだろう。
でもね、その読めなさも含めて伊野尾くんだと思うんだ。完璧ではないし、自分を実際より良く見せようという見栄もない。そんな無防備な状態で芸能人として人前に出てきてくれることを貴重に思わなければならないと思うんだ。
山田くんがメレンゲで「プロ意識がない」とJUMPを評していた。それはもちろん、Hey! Say! JUMPが、ファンとJUMPしか存在しないコンサートという幸せな無菌空間で育ってきたことに由来する。外界にJUMPが解き放たれた今、伊野尾くんも少しずつ変わっていってしまうのではないかと思う。「プロ意識」を身につけ、テレビで完璧な振る舞いをすることは「成長」と言えるのだろうけれど、伊野尾くんがこんなに無防備な子だったということを覚えておきたい。失われてしまうかもしれないから、今噛み締めておきたい。
 
今日「生物と無生物のあいだ」という本を読んだ。
生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方的にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
伊野尾くんは生命を持った生身の人間で、だからこそ刺激的だし美しいしかわいいのだ。
漫画のようなセリフを言わされて照れる伊野尾くん、空気を凍らせる伊野尾くん、先輩に生意気だと言われる伊野尾くん、MCがうまく回せなくて凹む伊野尾くん。ああどれも可愛かった!そう思って生きていきたい。あますところなくアイドルという存在をこの目に映して、一瞬一瞬をシャッターを切るように心の中に留めておきたい。

いただきハイジャンプ

2007年のデビューからこれといったバラエティ番組に出演できず、いまひとつ世間に向けた個々人のキャラクターが確立できていないジャンプの肩をそっと押してくれるような優しさと温かさに溢れた番組だった。

本当に、夢を見てるんじゃないかと思った。Hi! Hey! Say!とかヤンヤンJUMPとかリトルトーキョーライブが始まる時に散々夢に描き倒して、やはり叶えられず、そうよね、世の中そんなものよね……と繰り返すのが常となってしまったジャンプ担(私)にとっては妄想の中の番組のようだった。こんなスマップとかが昔やってたような面白いフジテレビ的バラエティをジャンプにやらせてもらえるんですか……いいんですか……

番組名の凝りっぷり(皆様から企画を『頂く』+芸能界の『頂き』を目指すというありたんの好きなダブルミーニング、『頂き』から連想される高み=『ハイ』と『ジャンプ』で『ハイジャンプ』)といい、可愛らしいオープニング映像といい、一人ひとりをきちんと紹介してくれる親切設計といい、そこそこお金と手間をかけた企画といい、寝起きの子をそっと支えてくれる優しさを持つカンニング竹山さんとやぶひかとの付き合いが深いTKOをサポート芸人さんに加えてくれるあたりといい、もう愛しか感じない。これは愛。これはこれからも続くと考えていいですよね。

天使たちの集い

10月21日のリトルトーキョーライブを見て、私はジャンプとこの番組への信頼を新たにした。

放送3回目にして有岡くんをロケに出すという英断。それを立派にやってのける有岡くん。小さなお茶の間で2人身を寄せ合ってきゃいきゃいしながら有岡くんの留守を守り抜いたゆとゆりちゃん。

全てが奇跡的なバランスで成り立って、深夜放送とは思えない温かさと可愛らしさが宿っていた。

何と言っても特筆すべきなのは「格付け」というアイドルがするにはそぐわない企画への、平和的なアンチテーゼだろう。「格付け」なんていうのは俗世界にひしめき合う凡人たちが行い、凡人がそれを見て日常の鬱憤を重ね合わせるものであって、争い合う天使たちなど誰が見たいものか。

前週のジャニーズWESTの回で「格付け」なるものが行われたとき、良い気はしなかった。先輩であるNEWSにぶつかっていき、同じ番組に出演するジャンプは自分たちより格下に置くことでライバル感を煽る、というWESTの回答はバラエティ的に正解だったが、それでもジャンプのファンとしては面白くなかった。

しかし、どりやんからWESTの格付けについてコメントを求められたゆとゆりちゃんの回答は予想を上回っていた。

どりやん「これでちょっと皆さんの魂に火点けてもらおうかな!」

(格付けを見て)

知念「これきっと彼らのね、渾身のボケでしょうね」

裕翔「お笑い優先だもんね!」

どり「ああ、いい?これはこれで……」

裕翔「まぁいいんじゃないですか」

どり「お二人も並び替えてもいいんだけど」

裕翔「いや、ここ(じゃんぷ)が鉄壁なんですよだから!要は!」

どり「…うーんどういう意味だ?」

NEWSあたりがMFだとしたら、じゃんぷが鉄壁(要するにゴールキーパー)だと説明してくれるゆうとりん。
これはこれでいいんです!と言うゆとゆり。

……何て素晴らしい回答なんでしょう。上下を表す格付け表を雲の上から見下ろして、正に天界からの視点で平和的解釈を提示するゆうとりん。「傷つけ合うことに意味なんてないんだ」「争わなくたっていい もうこれ以上」「Futureのやり方を見せればいい」精神!!私は感動で打ち震えた。

これをゆとりとかそんな生易しい言葉で説明されたら我慢ならない。じゃんぷは本当に心が清くて可愛い子たちの集まりだ。一生懸命で平和で可愛くて、そんなジャンプ像を深夜に見せてくれたリトルトーキョーライブに、今後も期待し続けたい。 

殺風景(2014.5.17 18:00開演 シアターコクーン)

2回目の殺風景。今回は全体が見渡せる席だったこともあり、ストーリーの繋がりをわかっていることもあり、双眼鏡持っていったこともありで、1回目に感じた「いったいなんだったんだ?」感は消え、かなり分かりやすい話に思えた。

とは言え思いを巡らす余地は沢山あったので、印象に残ったことを書いておく。

・缶蹴りの必勝法

唐突にマリが国男たちに缶蹴りの勝ち方を教え始める。曰く、鬼を可哀想に思って物陰から飛び出すから負ける。じっと息を潜めて隠れていれば絶対に負けることはない。

缶蹴りの話はもう一度出てくる。殺人を犯し、国男の到着を待つシーン。なぜかマリと子供たちは缶蹴りをしながら待っている。何度やってもマリの負け。長男に缶を蹴られてしまうのだ。

「昔は強かったんよ」と語るマリ。マリは国男を思って飛び出して鬼になってしまったのだ。そしてもうそこから抜け出すことは出来ない。

・炭坑に落ちていた財布

国男は炭坑に財布が落ちているのを見つけ、「あ、財布」と口に出すが、ものすごい勢いで先輩坑夫が財布を奪い取ってしまい、「先に拾ったんだから俺のもんだ」と言われる。

国男も譲らず言い争う2人。結局2人で分け合うことで決着がつくが、開いた財布には何も入っていなかった。

これは間違いなく現金2千万など入っていなかった金庫の隠喩だろう。大倉孝二さんのコミカルな動きと独特の間が笑いを誘うシーンだが、後に起こる笑えない事件を暗示していると思うと気味が悪い。

・オセロゲーム

稔に殺されることになる幼なじみが食卓で語るエピソード。稔がオセロを分解して裏返しても黒しか出ないようにしてしまったので勝てなかったという話。これも笑いが起こるシーンだが、裏返しても裏返しても黒いというのはいかにも薄気味悪い。

・ワンピースに留まったカナブン

車中で姉からの折り返し電話を受ける稔。稔が切り出したのは人を殺した後とは思えない無邪気で他愛のない話だった。ショッピングセンターでエスカレーターの前に立っていた女の人のワンピースのボタンが奇麗だなぁと思っていたら、ボタンではなくてカナブンだったんだよ、という話。しかもオチを先に言ってしまうという計算の無さ。

このエピソードは「きっとこういう意図があるに違いない!」と思える確固たる理由は思いつけていないのだけど、何となく連想した2点を書いておく。

一つは単純に稔の屈託の無さを印象づけるエピソードとして。稔の心情が察せられるエピソードはこの場面以外には無いと言ってもいい。父親に「俺はお前たい」と刷り込まれ、目立った葛藤も見せず淡々と人殺しをする青年としてしか描かれていない。このエピソードを聞いて初めて、血の通った人間として感じられた。

もう一つは思い込みがふとしたことでバラバラと崩れ落ちるエピソードの一つとして。一見した見かけと、蓋を開けた中身は一致しない。これはこの舞台全体に通底するテーマなんじゃないかと思った。金庫の話しかり、財布の中身しかり、殺風景なようでどろどろとした大牟田しかり、「あんたらの求めるような実際はどこにもない」という宣言しかり。

大牟田

舞台はほぼ全編大牟田弁で展開される。独特のアクセントと「〜たい」「〜と」という言い回しに最初は何を言っているのかわからなくなる。けれどその分集中して台詞を聞き、意味を咀嚼するようになる。異化ってやつ。

それからやはりその地に住む人しか使わない言葉なので、すごく排他的な印象を与える。東京から来た刑事が登場し、標準語で喋り出すと余計にその印象は強まる。血縁、地縁、全て閉じた腐った世界で展開される馬鹿馬鹿しい殺人の物語。

Live with me in TOKYO DOME (2014.5.10・11 18:00開演 東京ドーム)

予想通りのコンサートだった。というとマイナス評価のような気もするが、これまで期待が肩透かしに終わった経験が山ほどあるので予想通りであったことだけでも嬉しい。

非常に分かりやすい、常識的なセトリがある意味新鮮。急に日本の四季を振り返り始めたり、急に地球を大切にしよう!って言い出したり、急に学校コント始めたり、そういうの一切無かった(私はそういうジャニ的なトンチンカンな展開を極めて真面目に一生懸命やるジャンプがいかにもジャニーズエリートで好きだったのですが、それは置いておく)。

セトリにも今までにない展開をしようという意思が感じられたし、緩急の付け方が今までにはない計算のされ方だったと思う。

とは言え「ファンからのプレゼント」という体で「LOVE JUMP」という文字をペンライトで描き、「JUMP」も出るなんて聞いてねーよーすげー!と無邪気に喜ぶジャンプとそのファンたちが相変わらずのピュアネスでたまらなく好き、と思いました。やまちゃんのお誕生日祝いでくるすけのぬいぐるみを用意しちゃうってのもすごい。すごい可愛い。

ピュアネスとマジレスの塊と言えば我らが中島裕翔さんで、両日ともに名言連発だった。裕翔くん語録作りたい。

・「右も左も上も下も全部見えてたよー!」(両日)

裕翔くん得意の「上の方も見えてるよー!」を上回る強度を持つ発言が飛び出したことに震えた。「全部見えてた」という全能発言に加え、「右」とか「左」とか相対的な概念を持ち出してくるのもすごい。世界の中心は裕翔くんです。

・「妄想するのはこっち(客席)だから……」(11日)

圭人の「皆のこと、いつも妄想してるよ」という問題発言の後に発されたお言葉。もう全くフォローになってないし正しすぎて反論の余地もないしこれはまさしく裕翔くんの発言です。もしも発言者をジャンプの中から選びなさい、とかいう問題あったら迷うことなく裕翔くんを真っすぐな線で繋ぐね。

・「今日は俺たちのために盛り上がってくれてありがとう!」(11日)

相変わらずの天動説ゆうとりんっぷりにクスッときたけど、よく考えればあながち間違ってないと思う。私がペンラを振るのはジャンプちゃんたちに美しい景色を見せたいからです。